『新約聖書入門』
三浦綾子 著 光文社
牧師がどのように話すのか興味があり、我が家の周りにある4つの教会全てに行ってみました。
その後イエスキリストはどのように教えを説いていたのか興味があり読み始めたのが『新約聖書入門』です。
イエスは問います。
あなたの悲しみは何か?
さてあなたは、あなたの悲しみは何か? と問われたら何と答えますか?
親の死、伴侶の死、子供の死、兄弟の死、友人の死、夫の不貞、妻の不貞、離婚、子供の非行、肉親の非行。
その他、病気、不和、家業の不振、失恋等々、あまりにも多すぎる。
その悲しみにふれて、私たちは「悲しむべきこと」が何であるかを、見失って生きているのではないか。
人間として悲しむべきことが他にもあるはずだ。
それは自分の不誠実、自分の罪、自分のみにくさ、弱さ、不貞、狭量、嫉妬等々、それらは、少なくとも人間である限り、悲しむべき事柄のはずである。
ともすれば、悲しみは外から引き起こされるように私たちは思うが人間として持たねばならぬ悲しみというのは、自分の心のうちにあるのである。
そして最も重要な悲しみとは、自分のみにくさゆえに、神の国に入るにふさわしくない者であることを悲しむ悲しみ、ではないだろうか。
この悲しみこそが、私たち人間の持つべき最も重要な悲しみであり、私たちの会う悲しみを昇華し、かつ深めてくれる悲しみなのである。
金がない悲しみは、金が与えられれば、いやされるであろう。
子供の非行は、それが元に復されればいやされるであろう。
病の悲しみは、健康になった時にいやされるであろう。
肉親との死別の悲しみでさえ、時間とともに、いやされていくものだ。
私たちの悲しみというのは、そうした底の浅いところに終わりがちで、自分自身のあり方に対する強烈な悲しみというのは、あまりにも少ないのではないだろうか。
新約聖書のマタイによる福音書に書いてあるこれらの文字は私の生き方、考え方を強く見直すきっかけとなり、私にとって宝の文字です。